人気ブログランキング | 話題のタグを見る

開催日


2018年

5月12日(土)14:00-17:00

1027日(日)14:00-17:00

*要予約



【篆刻ワークショップ】


篆刻の歴史や技法などの基本の解説を交えながら、
初心者の方でもたのしく制作できるワークショップです。
出来上がった印は、書画作品や手紙といった日常の中でお使いいただけます。
また、こちらの会場では、出来上がった印を保管するのに役立つ印袴(カバー)なども制作できます。

受講料 5,000円(材料費・お茶代込)


問合せ・申込み haconiwa_k[at]yahoo.co.jp([at]を@に変換してください)

「氏名、電話番号、参加希望日」をお送り下さい。

ご連絡なく欠席の場合はキャンセル料を頂く事がございます。


会場 アトリエ箱庭

大阪市中央区北浜1-2-3-301

北浜駅京阪30番出口を出て、土佐堀通り沿いに東(出口を背に右)へ、

大橋クリニック角を南(右)へ曲がった2軒目、豊島ビル3階

アトリエ箱庭  http://www.haconiwa-k.com/


# by kasetsu_WS | 2018-02-20 19:23 | 大阪|篆刻ワークショップ


開催日[篆刻]11:00-13:30 [書]15:00-17:30

*各回定員6名・要予約



2018年

1月21日(日)

218日(日)

311日(日)

415日(日)

520日(日)

617日(日)



【篆刻講座|「わたし」の判子】


方寸の芸術とも称される篆刻。

宋代以降、人々はここに”わたしの中の「わたし」”を求めるようになっていきました。

自分自身に新たな名――雅号(ペンネーム)を与え、”わたしの中の「わたし」”の名前を石に刻む。

空想した書斎の名を石に刻み、そこで過ごす”わたしの中の「わたし」”に思いを巡らし、詩を詠む。

そうした”わたしの中の「わたし」”は、あるひとにとっては苛烈な現実を生きるための糧であったのかもしれません。

あるひとにとっては”わたしの中の「わたし」”のあり方を通じて自らをよりよく知ろうとする術であったのかもしれません。

今期の篆刻講座では、そうした自分の中の”わたしの中の「わたし」”をイメージし、名前の判子をつくります。
太い線・細い線・かたい線・しなやかな線……篆刻特有の意匠を学ぶことを通じて、毎回異なる様々な「わたし」の判子をつくります



【書の講座|ひとりの人の眼を通して見る書の見方】


東洋における文字の歴史は、およそ3300年前の古代中国で発生した甲骨文字に遡ります。
文字は、長い時間の中で、ひとびとの間で使用され、徐々にそ
の書き方は研ぎすまされ、一定の型を得てゆきました。

そしてより速く便利に書くという自然の条件に従い、唐代初頭には篆書・隷書・楷書・行書・草書の書体が確立しました。

書体が完成した唐代以降は、それら基本の型をよりうつくしく書くという希求がひとびとの中に芽生え、

それが書という文字芸術を生み出していきます。

ただ、うつくしさ、というのは時代によって移ろいます。

今期は、書の歴史における古典と呼ばれる書と、それを後の時代に真似て、学んだひとの書とを比較し、

ひとりの人が、どのように古典を見ていたのかを、うつくしさをどのように消化しようとしたのか、

ふたつの書を摸写することを通して学びます。

そこから、様々な時代、様々なひとにおける書の見方を知り、自らの書を見る眼を育みます。



01 石に刻まれた書を、筆で真似るということ|石鼓文と呉昌碩 


02 あこがれを書く|太宗皇帝と王羲之


03 真似ることの意義|八大山人と王羲之


04 女と男の書|光明皇后と王羲之


05 目習いということ|高村光太郎と黄庭堅


06 建築家にとっての書|白井晟一と顔真卿



受講料 各回6,000円(材料費込)

※篆刻と書を通し受講の場合10,000


問合せ・申込み kasetsu.ws[at]gmail.com ([at]を@に変換してください)

「氏名、電話番号、参加希望日・希望講座(篆刻・書)」をお送り下さい。

ご連絡なく欠席の場合はキャンセル料を頂く事がございます。


会場 和の器 韋駄天地下ギャラリー

110-0001台東区谷中5-2-24 tel.03-3828-1939

JR日暮里駅より徒歩5分/東京メトロ千代田線千駄木駅より徒歩9



# by kasetsu_WS | 2018-02-19 16:28 | 東京|書と篆刻の講座

文字と眼差し〈川〉

文字と眼差し〈川〉_d0375316_01585934.jpg

 線を引く。横に三本引くと、数字の「三」を示す文字となる。縦に三本引いて並べると、それは「川」を示す文字となる。
 数字の「三」は成り立ちを遡ると算木――数を数えるための枝を地面や卓上に並べたかたちを象っている。具体的なものを象った「三」の一方、「川」は、簡単に捉えることのできない”流れ”の動きを線で象徴的に表したものだ。
 文字の原型である象形文字は三千数百年前、黄河中流域を支配していた殷王朝の時代に形成されたといわれている。「誰か」が目の前をたゆたう黄河の流れをどうして三本の縦線で表わそうと思ったのかは想像に委ねるしかない。


 文字を書くことをやめ、墨でかたちを描くことを選んだ書の作家が、あるときインタビューで、どうして文字を書く事をやめたのかと問われたときの様子が印象に残っている。その作家にとって、「川」は三本線ではないからが答えだった。


 先日、大きな川が海へと繋がる河口の街で、「川」の字を書くワークショップをした。大人ばかり十五名ほどの人たちに、まずは川にまつわる印象や記憶を訊くと、多くの人が幼い頃の思い出を語り始めてくれた。

 学校の行き帰りに川沿いの土手を歩くと、川面に浮かぶゴミを見つける。自分が早く拾ってやらなければゴミは海へと流されてしまうといつも心配になったと語る人。川はまっすぐ流れているようで、じっと眺めていると常に所々で淀み渦巻き、またほどけては流れ出す――そんな複雑な動きを書きたいと語ってくれた人。
 それぞれに語られる川は、眺めるひとに寄り添うように横へ横へと流れ、河口に向かい動き続けている。それなのに、どうして「川」の文字は縦にその動きを表したのだろうと話しているうちに参加者の方たちから疑問がこぼれた。

 参加者の方たちの話を聞き、時々相づちを打ちながら、「誰か」は目の前の川の流れの様子にだけ着目したわけではないのではないか。”流れ”という眼には見えない動き――水が上流から下流へと流れ落ちてゆく様子さえもを文字に捉えようとしたのかもしれないと思えて来た。
 文字の上で、”三”はときに”たくさん”を意味する。”流れ”という動きを一本の縦線で描き、「誰か」はそこに黄河の雄大な、畏怖という思いもあったであろう、すべてを飲み込んでしまうような巨大な水の塊に、”たくさん”という意味を加えたのだろうか。三本の縦線の「川」の文字を見つめていると、その字をつくりあげた「誰か」の眼がそこに未だ生きている。
(文・書 華雪)


# by kasetsu_WS | 2017-10-24 01:57 | エッセイ|文字と眼差し

門_d0375316_03210396.jpg

小学生の間、母に言われ、プロテスタント系の教会の日曜学校に毎週通っていた。田舎町の小さな公民館を借りて行われていて、のちに線路脇に建てられた新しい場所へと引っ越した。
教会では牧師を「先生」と呼ぶ。そして教会に通って来る女性のことは、どんなに年上でも「姉」と言い、男性のことは「兄」と呼ぶ習わしになっていた。みんなふしぎなほど笑顔だった。わたしはその雰囲気にいつまでも馴染めなかった。

ずっとあとになって母になんで教会に通わせようと思ったのかと訊いたことがある。母は真顔で「嘘をつかないひとになってほしいと思って、どうしたらいいかなあと考えたら、教会に行くのがいいと思った」と言った。

「先生」の説教がはじまる。「姉」も「兄」も静かに「先生」の声に耳を傾けているように見える。説教は難しくてわからないことが多かった。だから話の終わりの合図である「アーメン!」という声が早く聞こえないかとたいていうずうずしていた。
いつも教会では左の一番前の席に座った。その席の真正面の壁には、一枚の絵がセロハンテープで壁に貼りつけてあった。「アーメン!」の声を待つ間、その絵を眺めるのが、いつからか習慣になっていた。絵には、手前に広場があって、壁がある。その壁の左手に門が描かれていて、ひとびとが集っている。そしてよく見つめると、右手にも小さな穴のような門が描かれているのに気づいた。

大きな門を入ると、また広場があって、なにか店があったりするけれど、身体の黒いひとがいるのも見える。右手の小さな門の先には細く折れ曲がる荒れた道が続いている。
毎週、絵の中の門を見つめる。まず大きい門の道筋を眼で追う。大きい道筋の先には、火のようなものが描かれていて、「先生」によるとそこは地獄なのだという。小さい門の道筋の先には、ひつじが描かれていて、行き止まりには光が降り注いでいるような場所が見える。絵の上方の真中には三角形のかたちの中に誰かの眼がひとつ描かれていて、なにかを見下ろしているようにも見える。
「先生」は、時折、この絵の話をした。必ず、狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入るものが多いのです。見なさい、大きな門の先には争いが絶えないのです。
けれどわたしは毎週、絵の前に座り、「先生」の説教の間、絵の中のふたつの門を眼で追って行き来した。大きい門の中ではひとびとがあちらこちらで騒がしそうで、小さい門の先にはあまりひとがいない。わたしが見知っている世界は、どちらかと言えば大きい門の先の広場に似ていた。そして教会に集まるひとたちが台所でひそひそと話している様子もまた、大きい門の先に似ていた。

母の家に、いつからその絵が掛けられるようになったのかは思い出せない。ある日気づくと、そこにあった。
(2017.09)

門_d0375316_03204976.jpg

# by kasetsu_WS | 2017-09-30 03:19 | それはかならずしも遠方とはかぎらない

之無

之無_d0375316_03381797.jpg


「之無」――漢字の熟語が、日本語としては使われることのなかった古い中国のことばに「はじめておぼえたことば」という意味があると知ったのは、もうずいぶん前のことだ。それぞれの象形文字を字典で調べてみると、「之」は足跡のかたちを象り、「無」はひとが踊る様子を表わすとある。象形文字のかたちはことばの意味とはもはや断絶しているはずなのに、そのかたちである象形文字を連ねて書いてみると、「はじめておぼえたことば」を知ったひとがそこに立っているように思えた。ただ、それはわたしのこじつけかもしれないとも思いつつ、石に彫った。


わたし じ べんきょうしたら
そのじ にげんようにって
てに かいてね
ぐっと にぎりしめて
いえに もって かえるんですわ
(文:若一の絵本制作実行委員会 絵:長野ヒデ子『ひらがなにっき』解放出版社、二〇〇八)


すっかり忘れていた「之無」にまつわることを思い出したのは、去年読んだ絵本の中の一節で、置かれた環境はまったく違うのに、幼い頃、自分にも似たような経験があった気がしたからだ。と同時に、ここに描かれているような、ことばに感じる”はじめて”という感覚は、たちまち失われていくものだということも知っている。

この春から中国語の教室に通いはじめた。
「わたし」は「我」になり、「歩く」は「走」になり、「食べる」は「吃」になった。幼い頃から親しんできた漢字を書いているのに、その字はすべてわたしの知らない顔を見せる。漢字――わたしの知っている「漢の字」は、どこまでも日本語としての文字なのだ。そして母語の日本語との意味のずれがあることに、これほどまでに違和感を持ち、戸惑うものかと驚きながらいる。

自分の親しんだことばの意味がずれることで、自分のあり方のようなものも揺れる。
たとえば戦時中に書かれた詩がある。それを実際に書として書いてみようとすると、そこに〝ある〟ことばの間で揺れ続ける作者自身の気持ちに思いが至る――ことばと歴史の関わりをすこしでも知ろうとすれば、それがどれほど社会や為政者によって翻弄されてきたかということに、そしてその地、その時を生きなければならなかったひとがどれほどことばに縛られてきたかということに気づく。
戦渦などによってもたらされたことばの変化は、ひとによっては暴力であった。けれどもひとは、与えられたことばを使いこなすことで、それでもなおその地で生きようとあきらめずにことばを絞り出し、留めたのかもしれない。

ことばと出会い、それがどのような状況であっても様々な新たな感覚を得る。けれどそのときの感覚をどうしても保ち続けることができず、徐々に忘れてしまう。それがどうしようもなく惜しいと感じる。その惜しいと感じる思い――それがどんな感情であろうとわたしは書として書き留めておきたいのだと思う。
(2017.09)

之無_d0375316_03165931.jpg


之無_d0375316_03171485.jpg

之無_d0375316_03175621.jpg
--------------------------------------------
華雪書展「はじめてのことば」
2017年9月1日―9月30日
東京・古書遊戯 流浪堂

# by kasetsu_WS | 2017-09-01 03:05 | それはかならずしも遠方とはかぎらない

書家 華雪の講座のご案内


by kasetsu_WS